#23 そこの奥さん遅れてますがな!
こんばんはたくとです。
いやー、久しぶりですね。2週間ぐらい書いてないとなんとなくムズムズするものです。嘘です、そんなことないです。ムズムズしてる暇はありませんあなたには試験が待っています。
さてさて、みなさん。
これを読んでいる人は大半がUWCを目指していてたまたま「なんやこいつブログ書いとるやんけ」と思って見に来た人かもしれません。
僕も昔UWCの先輩方のブログを見たり、インターネットに転がってるUWCの教育について調べたりしてました。
その時思いませんでしたか?
はぁぁ、なんて魅力的なプログラムなんだろうと。
いや、実際いいと思うんですけど。
最近自分の中でふと浮かんだ仮説があって、
”もしかしたらもうIBは真にいい教育ではない。”
僕の例で言うと、哲学だったら結構な頻度でディスカッションがあるし自分で考えるという行為がそこには存在している。けれどこの先生はカリキュラムを終えることに必死で毎授業密度の高い議論ができるわけじゃないしすごいもったいない感じがある。
他の例では、とても頭のいい生物の先生がいるのだけれど教えるということがとても下手でみんなに文句を言われてる人とか。誰かが「Bio self-taught」(生物は自学の科目)って言ってた時は笑ってしまった。
当然だけど授業って先生にとても依存するもので、IBを勉強しているからといって必ずしも質のいい授業をうけられるわけではない。
IBも例えばそれ自体ができた頃はもっと質のいい先生の少数の生徒しかいなかったかもしれない。それがいつの間にかいいものと世界から認識され規模を拡大し、質が落ちていった。
あるいは、質を維持できなかった。かもしれない。
もしIBが1周ぐらい遅れているとして日本の一般的な高等教育は5周ぐらい遅れているから残念なんですけどね。遅れているというか、うーんこの話はまた違う機会で。
IBが他と比べればいいプログラムであることに変わりはないと思うし、UWCの経験は勉強の環境だけではないということもわかってる。けれど、他にもっといい形はないのかな?とふと思った休憩時間でした。
いかに質の高い高等教育を多くの人に提供するかが大変かということがわかったかもしれない。いや、考え付くままに書いたので嘘書いてたらすみません。
機会があったら文科省の人に是非とも読んでほしいですね笑
ではでは、また来週!(3日後ぐらい?
11;06pm
4.20.17