#27 見る・視る
こんばんは。
ついについについに、日本帰ってきました!
寿司、すし、SUSHI,,,,,ちなみにまだお寿司食べてないです。早く食べたい。
いやー本当に長いようで短い1年目でした。終わってしまったなぁというのが今の正直な感想です。まだ自分の中で消化仕切れていないような、そんな感じ。
それから2nd yearの卒業式が終わって、それからイタリアを5日間ほど旅行してきました。
卒業式の話は始めると3話ぐらい続くので今回はやめます、、、もしかしたらまた今度書くかもしれない。
ということで、旅行2日目の夜にまとめたメモを元に1つ書いていこうかなと思います、
どうぞごゆっくり。
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今日はフィレンツェを歩いたのだけれど、本当に趣きのある土地だと思った。
建物の色とか、質感とか、それが持つ雰囲気だったりとか。
だからフィレンツェ、と言うよりイタリアは好きだ。けれど、周りを見渡してみると、
写真を撮る人、
セルフィでもの(建物)と自分を一緒に写す人、
スマホをずっと見ている人、
んん?
いや、写真を撮ることに対して僕も何も文句はないのだけれど、みんなが見ているのは建物だろうか、それともフィルム越しのそれだろうか?
写真をとって、加工して、インスタ(スナチャ?)に投稿して次の観光地へ行く。
ミケランジェロ広場より。
「見ている」のだけれど、「視ていない」気がする。
感覚的な問題だから言葉本来の意味は置いといて。
何かが違う気がする。
別に何が正しいとかはないけれどふと辺りを見たときにとてつもない違和感を覚えた。
写真は残るものだしそれがいい時もあるのだけれど、写真を撮るだけなら別にインターネットに山ほど転がっている。せっかく現地に行くのだから少しカメラを置いて、ゆっくり見た方がいいのではないのか。。。?
せっかくローマの建物それ自身が雰囲気というメッセージを持って何かを伝えようとしているのだからもう少し真摯に受け止めてもいいんじゃないかな。
それはきっとカメラごしではなく、自分の眼で感じるべきだと思う。
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夏休みもぼちぼち書きたいことがあれば書くという調子でやっていくのでよろしくお願いします!
ではでは、またいつか。
11:32pm
05.31.17